勉強の語源は「気の進まないことを無理にする」だが楽しむ方法がある

勉強の語源

勉強とは「勉め、強いる」と書きます。
本来は気の進まないことを無理にする意味だったのです。江戸時代には商人が頑張って、商品の値段をまける意味で使われていました。「勉強しまっせ(以下略)」は江戸時代から使われていたのです。

明治になり、さまざまな人々が知識を獲得するために努力を重ね、学問することが美徳とされるようになってきました。
結果として「勉強」は「学問や技術を学び習うこと」を意味する「学習」と同様の意味になり、広く使われるようになりました。

大学などの入学試験のように「合格」を目的として、知識を詰め込んでいる状況では、勉強は「しなければいけないこと」であり、周囲に「やらされていること」と感じます。
私もいまだに受験勉強の夢を見ます。「気の進まないことを無理にする」意味だというのも納得です。

漢字伝来のもと中国で「勉強」は「学習」と違う意味

中国語で「勉強」は「無理を強いる」という意味です。日本の江戸時代は近い意味だったですね。
学問を学び習うのは「学习(学習)」であり、使い分けられています。

英語「study」の語源は「打ち込む」

英語では勉強のことを「study」と訳すのが一般的です。
「study」の語源は、ラテン語の「studeo」と言われています。「studeo」は「打ち込む。専念する。勉強する。」という意味ですので、集中しているニュアンスがあります。

「studeo」はドイツ語の「studium」につながっています。これには没頭するというニュアンスが含まれていて、丹念に読むこと、学問・研究・(詳しい)調査という意味があります。このドイツ語「studium」は教育をしめす英語「education」や「study」に翻訳されます。

こう考えると「study」は「自ら情熱を燃やして勉強する」という意味になり、「気の進まないことを無理にする」という日本語における「勉強」の語源とはベクトルがかなり異なります。

好きこそ物の上手なれ

「好きこそ物の上手なれ」は「何事も、好きであってこそ上手になる。いまは未熟であっても、本当に好きならば上達する望みがある。」という意味のことわざです。

本当に好きなことをやるときは時間を忘れて熱中するものです。

あくまでも熱中が先に来て、繰り返しやり抜くことによって、最初は未熟なことでもどんどん上達していく。因果関係でいうと「熱中して没頭する」という原因によって「丹念に研究・調査する」という結果を導いているわけです。

誰もが時間に限りある人生です。
「(周囲に反応して)気の進まないことを無理にする」のと「(自らが)熱中して没頭することを勉強する」のとどちらが楽しめるでしょうか?

お読みいただき、ありがとうございました。
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