データと情報
データとは
何かを文字や符号、数値、画像などのまとまりとして表現したもの。
情報とは
人間にとって意味のあるものや、データを人間が解釈した結果のことを情報と呼ぶ。
※単にデータといった場合、ICT分野では特にコンピュータが記録・処理できる形式になっているものことを指す。また、コンピュータが保存しているもののうちプログラム以外のもの、プログラムによって処理されるもの、という意味でデータという場合もある。
つまり、多少乱暴にまとめると、「無作為なデータ」を「価値あるデータ」にしたものが「情報」といえます。
データが情報になるかどうかは相手と状況によって異なります。
質問
期末セールの日程がお知らせされてます。次の人にとって、この日程はデータでしょうか?情報でしょうか?
1)セールの大好きな人
2)セールが終わってから広告を見た人
3)セールに興味のない人
答え
1)セールの好きな人
セール好きな人にとって日程は、行動選択・意思決定の手段になりますね。価値ありと判断されるので「情報」といえます。
2)セールが終わってから広告を見た人
価値がないと判断すれば「データ」です。
しかし「この時期(期末)にセールをするなら来年まで待つ!」と意思決定に関与すれば、それはそれで価値ありということになりますので「情報」にもなります。
3)セールに興味のない人
興味がなければ単なる「データ」です。
ただし「セール中レジが並ぶから、行くのやめよう」と思えば、それは「情報」になっています。
情報の語源
情報は日本生まれ
Wikipediaによると、
日本語の「情報」は1876年に出版された『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』において、仏語 renseignement (案内、情報)の訳語として「敵情を報知する」意味で用いられたのが最初である。英語intelligenceの意味での「情報」の語の使用は、外務省国際情報統括官組織や防衛省情報本部などの情報機関に、現在でも見られる。informationの訳としては、19世紀にはまだ情報という語をあてることはされていない。たとえば、1879年刊『民情一新』で、福澤諭吉はinformationの社会的影響について論じたが、当時、日本語に対応する訳語が存在せず「インフォルメーション」(59ページ最終行)と仮名書きしている。ただしこの間ずっと、intelligenceの意味でしか使われていなかった、とする主張は事実誤認とみてよい。実際により広い意味で「情報」の語が使われている例もあり、たとえば1940年発足の組織の名前「情報局」(いわゆる内閣情報局)がある。
とあります。また、これ以前に中国語に「情報」という単語がなかったことから日本で生まれた単語と言われています。
心+青=情
「情報」という単語を公にしたのは森鴎外です。森鴎外はKarlvon Clausewitzの「戦争論」を翻訳し、明治36年(1903)に「大戦学理」として刊行し、巻一「戦争の本性について」の第六章「戦争における情報」で、ドイツ語のNachrichtの訳語に「情報」を使いました。その後の著作でも鴎外は「情報」という言葉を使用しています。
さて、このことは以前からある程度知っていたのですが、先日ラジオで森鴎外が情報に「心」に「青」と書いた「情」の字を使った理由について流れているのを断片的に聴きました。
森鴎外はInformationという言葉を「情報」と訳したが、それは「情」が伴えば、人は与えられる報せがわかると考えたからではないかと思う。
例えば親の読み聞かせは情けや愛情にあふれた「情報」であり、例えばテレビを見ていて目に入ってくるのはただの「報」にすぎない。
というような話だったと思います。鴎外がインフォメーションに「心」が含まれる「情報」という言葉を当てた意味合いに思いを巡らせています。
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