本当に必要なもの
小売業界でDXコンサルタントとして活動していると、毎年のように新しいバズワードが生まれては消えていく様子を目の当たりにします。まるで季節の移り変わりのように、次々と新しい言葉が登場し、業界を席巻していきます。
興味深いのは、多くの企業がこれらのバズワードに飛びつく姿勢です。老舗企業も「時代に取り残されてはいけない」という焦りから、深く考えることなく、まるで行列のできるラーメン店に並ぶかのように、流行に追随していきます。
そして、この状況を見透かしたかのように、一攫千金を狙うベンダーやコンサルティング会社が、さらにバズを増幅させていく。増幅の過程で、実際には成功していないのに話題性のための取組みが行われて、それをメディアがもてはやす。そんな光景を何度も目にしてきました。
しかし、ここで立ち止まって考えてみてください。バズワードの初期成功事例とされる真の企業は、決して表面的な手法だけで成功したわけではありません。彼らは独自のコアバリューを創造し、それを軸に事業を展開した結果として成功を収めたのです。一方、後追い企業の多くは、その「結果」の部分だけを真似ようとします。当然ながら、背景にある思想や文脈を理解せずに形だけを模倣しても、再現性はありません。そして失敗すると、また次のバズワードを求めて彷徨うことになります。
例をあげましょう。
無印良品はブランドではありません。(中略)無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。
https://www.muji.net/message/future.html
無印良品が掲げる「これでいい」という哲学は、過剰な装飾や機能を削ぎ落とし、本当に必要なものだけを残すという考え方です。規格外品の活用や簡素な包装は、コスト削減のためだけでなく、「必要十分」という価値観の表れでした。
一方、昨今の「サステナブル」ブームに乗る企業の多くは、エコバッグの利用促進や植林活動といった表面的な活動に終始し、本業のビジネスモデルは従来のまま変えようとしません。
無印良品の強さは、40年以上前から実践してきた哲学が、結果として今日の環境意識の高まりと合致したことにあります。つまり、トレンドを追いかけたのではなく、自らの信念を貫いた結果、時代が追いついてきたのです。
なぜ私たちは新しいものに惹かれるのか
人間の脳は、新奇性に対して強い反応を示すようにできています。これは進化の過程で獲得した生存戦略の一つです。新しいものは、獲物の発見、交配の機会、あるいは捕食者からの脅威など、生存に関わる重要な情報を含んでいる可能性があるからです。
この新奇性への反応は、脳内のドーパミン系を活性化させ、快感や満足感といった報酬系の反応を引き起こします。その結果、私たちは新しいアイデアや新製品を、時に不合理なほど高く評価してしまうのです。これを「新奇性バイアス」と呼びます。
小売業界においても、この心理は顕著に表れます。新しいテクノロジーやビジネスモデルが登場すると、その潜在力を過大評価し、「乗り遅れてはいけない」という不安に駆られて、深い検討もなく導入を決めてしまうケースが後を絶ちません。
本質を見極めるということ
このような状況下で、私たちはどのように判断すべきでしょうか。私が大切だと考えるのは、松尾芭蕉の「不易流行」という考え方です。「不易」とは時代を超えて変わらない本質的な価値、「流行」とは時代とともに変化する新しい要素を指します。重要なのは、この両者のバランスを保ちながら、決して「不易」を見失わないことです。
小売業の本質は何でしょうか。それは「お客様に価値を提供し続けること」に他なりません。この本質は、江戸時代の商人も、現代のECサイト運営者も変わりません。テクノロジーや手法は変化しても、この根本的な目的は不変です。
小売業における「不易」とは何か。それは顧客に価値を提供するという根本的な使命であり、自社が持つ独自の強みやノウハウです。店舗運営の基本、商品の目利き、顧客との関係構築といった基礎的な能力こそが「不易」の部分です。
2025年7月時点では、生成AI導入が最も話題です。多くの企業が「AI活用による売上向上、コスト削減」という結果だけを求めて、外部のソリューションに丸投げしようとしています。しかし、本当に成果を上げる企業は、まず自社の業務プロセスを徹底的に見直し、データの質を高め、本部・店舗スタッフの基礎能力を向上させた上で、AIを「道具」として活用しはじめています。
新しい技術やビジネスモデルを検討する際は、まず自分の頭で考えることが重要です。
「なぜこの技術が必要なのか」「これによってお客様にどんな価値を提供できるのか」「自社の強みとどう結びつくのか」……こうした問いに対して、他人の意見や成功事例に頼るのではなく、自社の状況に照らして独自の答えを導き出す必要があります。
信頼できる相談相手の重要性
とはいえ、すべてを自分一人で判断することは困難です。ここで重要になるのが、信頼できる相談相手の存在です。
ただし、この「信頼できる」という言葉には注意が必要です。単に最新トレンドに詳しい人や、成功事例を多く知っている人が、必ずしも良い相談相手とは限りません。
真に信頼できる相談相手とは、表面的な解決策ではなく、本質的な課題を一緒に考えてくれる人です。流行に流されることなく、時には耳の痛い意見も率直に伝えてくれる人。そして何より、あなたの事業の「不易」の部分を理解し、それを大切にしながら「流行」を取り入れる方法を一緒に模索してくれる人です。
本質にこだわり続ける理由
私がコンサルタントとして「本質」にこだわる理由は、単なる理想論ではありません。これまで数多くの小売企業の変革を支援してきた経験から、本質を見失った改革は必ず行き詰まることを知っているからです。
逆に、自社の強みや顧客への提供価値を明確に理解している企業は、新しい技術やトレンドを適切に活用し、持続的な成長を実現しています。彼らは決してバズワードに踊らされることなく、自分たちの「不易」を守りながら、必要な「流行」を取り入れているのです。
DXの真の目的は、デジタル技術を使うことそのものではありません。デジタル技術を活用して、お客様により良い価値を提供し、従業員がより働きやすい環境を作り、結果として企業が持続的に成長することです。この本質を忘れずに、一つ一つの判断を積み重ねていくことが、真の変革につながると私は信じています。
小売業界の経営者、DX推進責任者の皆様。新しい波が押し寄せるたびに右往左往するのではなく、自社の本質を見つめ直し、自分の頭で考える習慣を大切にしてください。そして、信頼できる相談相手と共に、本当に必要な変革を見極めていきましょう。それこそが、持続可能な成長への確かな道筋となるはずです。